「愛」に見せかけた支配から、自由になるまでの記録
これは“洗脳”だった──離れられなかった理由
最初は優しかった。
愛の言葉、連絡はマメで、サプライズのプレゼントまで用意してくれる。
でも、いつの間にか私は、「相手の機嫌をうかがいながら生きる」ようになっていました。
不安なのに、苦しいのに、離れられない。
――今なら、はっきり言えます。それは“洗脳”でした。
この記事は、私が体験した「支配と依存の関係」から抜け出し、自分の人生を取り戻すまでの記録です。
- なぜ、あの関係を“愛”だと信じていたのか
- 何が私を縛り、どうやって解いていったのか
- 今、同じような状況にある人に伝えたいこと
あの頃の私と似た思いを抱える誰かに、届きますように。
「愛されているはず」が、私を壊していった
20代半ば、30代の経営者と付き合っていました。
肩書きは“成功者”だったけれど、実態は違いました。
怒りをぶつけ、浮気をし、暴言で人を追い詰める──それを「俺のやり方」と正当化する相手なのに、彼を“特別な人”だと思い続けていたんです。
「愛されているから束縛するんだ」
「私がちゃんとすれば機嫌はよくなる」
そんなふうに、相手に合わせて自分を削っていく日々。
そしてある日、彼は事件を起こし、逮捕されました。
刑務所に入ったことで、ようやく私は自由になる“きっかけ”を得たのです。
私は、彼の母親の代わりになろうとしていた
逮捕後も、私は彼の母親と一緒に留置所へ面会に通っていました。
元・呉服店のやり手営業だった彼女は、ある日こう言いました。
「私は息子を虐待してきた。いけないことだとわかっていても、今も逆らえない」
息子の問題をなかったことにし、尻ぬぐいをしてきた人生。
気づいたのです。
──私は、その役割を引き継ごうとしていたんだ、と。
この親子と関わり続けても、私に幸せは来ない。
そう確信し、すべての関係を断ちました。
「気づいても離れられない」それが洗脳
暴力も、浮気もあった。
でも私は「それでも離れられない自分」にずっと苦しんでいました。
なぜなら、彼が最初に見せた“優しさ”が、私を縛るフックになっていたからです。
- 特別扱い
- 愛の言葉
- 強いリーダーシップのように見える支配
それらが、恐怖や混乱と交互に与えられるうちに、私は思考を止めるようになっていきました。
これは珍しい話ではありません。
支配的な関係から抜けられないのは、気づいていないのではなく「気づいていても離れられない」ように、巧妙に仕組まれた今日依存の構造になっているからです。
回復の始まり──「自分の味方になる」ことから
別れを決めたあと、私は心の中に長く沈んでいた“家族の問題”とも向き合うことになります。
私は5人きょうだいの末っ子。
機能不全の家庭で育ちました。
- 怒鳴る父
- 愚痴ばかりの母
- 子どもたちに押し付けられた生活費と介護
中学時代、父が大病を患ったことで生活は一変。
家族それぞれが限界ギリギリの生活を強いられました。
気づけば私は、「誰かの役に立たないと価値がない」と思い込むように。
彼に惹かれたのは、その“慣れた役割”をまた演じられる相手だったからかもしれません。
でも、もう繰り返さないと決めました。
- カウンセリングを受ける
- 小さな安心を日々の中に増やす
- 怖くても、ひとつずつ自分の意思で選ぶ
そうして少しずつ、私は「自分の人生」を取り戻していったのです。
つらさの原因は“環境”だった
私は長いあいだ、自分を責めていました。
「私が弱いから、こんな目に遭うんだ」
「もっと努力すれば変われるはず」
でも、満たされない恋愛や、浪費、過度の飲酒や煙草などの依存は、心が限界だったサインだったのです。
つらさの原因は、あなたが“ダメだから”ではありません。
あなたを追い詰めた環境や関係が、その感情を生んだのです。
今、私は“静かな幸せ”の中にいる
今の私は、安心できるパートナーと、静かで穏やかな時間を過ごしています。
- 相手の顔色をうかがわないでいられること
- 言葉にしなくても、尊重し合えること
愛って、こんなにも静かで、優しいものだったんだ。
そう思える今が、私の“本当の幸せ”です。
「少しでも変だな」と思ったら
あなたの直感は、正しいかもしれません。
- どこか苦しい
- でも、私のせいな気がする
そう感じるときは、どうか自分を責めないで。
小さな一歩でも、動き出すことで見える景色は変わります。
今夜、ノートに「今の気持ち」を書き出してみてください。
言葉にすることで、気づくことがあります。
そして、こちらの記事もよかったら読んでみてください:
👉「親を嫌いになってもいい」─境界線のない家で育った私が、人生を立て直すまで
あなたがあなた自身の味方になれますように。
コメント